|
2008-05-05 Mon 00:49
時刻は二十三時。 日付が変わるまで、まだ一時間ある。 夏休み中であることから、はやく寝なさい、という母の声は聞こえてこない。 冷房の効いた自室。 白々とした蛍光灯の光を浴びて、和樹は椅子に深く寄りかかり、ぎし、と軋ませた。 勉強机に軽く足を乗せて、写真の束を手にする。 「うぅ〜わ。ケイタ、ごっつ変な顔やしっ」 一枚一枚、笑いながら写真を繰っていく。 それらはすべて、三日まえのもの。 なんのことはない、仲間五人とカラオケに行ったあと児童公園で興じた花火、その際に和樹がデジカメで撮った写真だ。 派手に噴き上がり火の粉を盛大に撒き散らした花火は、最高だった。 大騒ぎしすぎて近所のおじさんに怒鳴られたが、それさえも楽しくて仕方なかった。 思い出し笑いをしながら、ぎし、とさらに全体重を背もたれに預けたときだ。 「う、わぁっ!」 ぐらりと椅子が傾ぎ、和樹は見事にうしろへと倒れた。 衝撃とともにものすごい音が響き渡り、背後の本棚が震える。 「いっだぁっ!」 背中を押さえて叫ぶと、夜遅いのだから静かにしなさい、という母親の怒り声がした。 「いったぁ……っつか、オカン、ちょっとくらい俺の心配しろっつぅねん」 文句を言うものの、しかし、まあいいか、と元来おおらか、悪く言うのならば能天気である和樹は、へらり、とすぐに笑う。 鼻歌混じりに椅子を起こし、そこらじゅうに散らばった写真に手を伸ばした。 そして、 「……あ? なんやコレ」 伸ばしかけた手指を、止める。 いくつもの笑い顔が映った写真の数々。その、一番上に、さきほどは気付かなかった写真があった。 キリンを模した滑り台。 ぽつん、と街灯に照らされて、それが闇の中に浮かび上がっている。 ただ、それだけの写真。 そんなもの、もちろん撮った覚えなどない。 「誰やねん、こんなん撮ったヤツ」 怪訝に思いつつもその写真を、拾い上げる。 ぱち……っ 不意に、頭上からちいさな音が降ってきた。 ん、と音の発生源を見上げるが、蛍光灯は相変わらず無機質な白い光を降らせている。 もうすぐ切れるのかなぁ、などと思いつつ、和樹はふたたび写真へと瞳を落とした。 とたん、 ざわり。 冷房に冷やされた肌が一層冷えて、粟立つ。 キリンの上。 そこに、現れていたのだ。 白い、影が。 わずか、声を失っていた和樹だったが、気のせいだ、と乾いた笑いを顔に張り付ける。 けれど。 なにかが、おかしい。 静かすぎる。 両親も弟も、まだ居間でテレビを見ているはず。さっきまで、かすかな笑い声が聞こえていた。 それなのに、いつのまに眠ってしまったのだろう。 なんの音もしない。 いや、 ぱち……っ ふたたび、頭上から音が降ってくる。 ただ、そのちいさな音だけが、意識を支配してくるのだ。 おかしい。 部屋が、冷たい。 冷房の設定温度よりも、蛍光灯の白が、冷たい。 ぱち……っ 肩が、震えた。 いつもの、部屋。 それなのに、この冷たく重い気配はなに。 鼓動が、徐々にはやくなる。 繰り返す呼吸の間隔が、狭まる。 汗などは、出ない。 ただ、全身の毛穴から、冷気が怯える心臓目掛けて流れ込んでくるようだ。 おかしい。 おかしい。なにか、おかしい。 ふ、と。 誰かを呼ぼうとしてさまよわせた瞳が、本棚で止まる。 隙間なく並べている本棚。 けれど、そのまえ。 つまりは、自分のすぐそば。 薄い煙のような、白い靄(もや)があった。 ガタ……ッ あとずさると、椅子に背をぶつける。 ぱら、とその手から足もとへと落ちたのは、さきほどの写真。 「っ!」 もはや、声などは出なかった。 喉が引き攣って、ひぅ、という音がくちびるからこぼれただけ。 なぜなら、 キリンの上にあった、白い影。 それが、キリンの手前に移動して、大きくなっていたのだ。 そして、 ぱち……っ 目のまえの、白い靄。 それが、ゆっくりと、濃くなっていく。 曖昧だった輪郭を、徐々に現しはじめる。 に……ぃ それは、歯のない口を開けて、 笑った。 ぱちり。 最後に大きな音がして、和樹の意識は一瞬にして闇に、 喰われた。 |
|
| 鳳蝶の森 |
|



